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札幌地方裁判所 昭和53年(ワ)5038号 判決 1981年8月21日

原告

三宮松王

被告

今井醸造株式会社

主文

一  被告は原告に対し、金三二二六万円及びこれに対する昭和五三年八月一日からその支払の済むまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  被告は参加人に対し、金八一〇万円及びこれに対する昭和五五年一二月四日からその支払の済むまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

三  原告及び参加人間において原告の被告に対する本訴請求債権中八一〇万円が参加人に属することを確認する。

四  原告の被告に対するその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用につき、原告と被告との間においては原告に生じた費用の三分の二を被告の、その余は各自の負担とし、参加人と原被告との間においては原告及び被告の負担とする。

六  この判決は、主文第一項及び同第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の申立

一  原告

1  被告は原告に対し、金四五〇二万八五〇五円及びこれに対する昭和五三年八月一日からその支払の済むまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  参加人の原告に対する請求を棄却する。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二  被告

1  原告及び参加人の被告に対する請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

三  参加人

1  (主文第二項と同旨)

2  (主文第三項と同旨)

3  訴訟費用は原告及び被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

第二当事者の主張

一  原告

1  原告は昭和四六年一一月に被告に雇用された従業員であり、被告は醤油・味噌等の食料品の製造・販売を主たる業とする会社であるが、原告は昭和五一年七月一日午前九時四〇分頃、被告の東営業所食品整理倉庫において、物品をトラツクに積載作業中、訴外山本達雄(同営業所課長)操作のトラツクが突然後退したため、右トラツクと倉庫のカウンターの間に身体腹部をはさまれ(これを以下「本件事故」という。)、空腸断裂(二個所)、腹腔内出血、左第九・一〇肋骨跛裂骨折、第二・三・四腰椎右核突起の重傷を負い、右同日から同年九月一九日まで八一日間保全病院において入院加療を受け、同月二〇日から同年一一月三〇日まで同病院で通院治療を続けた。

2  原告は同年一二月一日、一応復職したが、被告の東営業所長は軽作業程度の労働しかやつてはならないという医師の指示を無視して原告に従前の積荷作業をさせたため、原告は十分回復していない身体で特に腹部に力を入れることが困難な状態で作業することになり、よつて昭和五二年五月二八日、積荷作業中に左アキレス腱を切断し、右同日から同年七月三〇日まで六四日間再び保全病院に入院し、同年八月一日から同年九月二〇日まで同病院に通院してそれぞれ治療を受けた。

3  右の間、原告は本件事故によつて負傷した腹部の開腹手術による胃・腸管癒着を来たし、同年(昭和五二年)一〇月三〇日から翌昭和五三年一月七日まで七〇日間同交会病院に入院、同月八日から同年九月二七日まで同病院に通院、同月二九日から昭和五四年五月二〇日まで二三四日間稗貫外科医院に入院、同月二一日から同月二六日まで同医院に通院、昭和五五年五月二七日から同年六月一八日まで二三日間北海道社会保険中央病院に入院、同年六月二〇日から同年九月三〇日まで一〇三日間美唄労災病院に入院し、その後現在に至るまで社会保険中央病院及び美唄労災病院に通院して治療を継続している。

4  原告には本件事故に起因する左記の通りの後遺障害が存する。

(一) 胃・腸管癒着により終身就労不能

(二) 脊髄損障による両下肢座不全麻痺症、中枢神経系損傷による知覚障害・痙性不全麻痺・腱反射亢進・膝間代・足間代の各障害により労務不能

右後遺症は自動車損害賠償保険法(自賠法)施行令及び労働基準法施行規則に定める後遺障害のそれぞれ三級の三、四に該当し、労働能力の喪失率は一〇〇パーセントである。

5  被告は本件事故の原因となつたトラツクの保有者であり、運行供用者であるから、自賠法第三条の規定によつて、被告はこれによつて原告に生じた損害を賠償しなければならない。

また右事故は、被告に雇用されている前記山本が右トラツクを始動させる際、チエンジレバーがニユートラルの位置にあること及びトラツクの傍に積載作業中の者がいないことを確認すべき注意義務を怠り、漫然とエンジンを始動させたため、バツクギヤーに入つていた右トラツクが突然後退して原告に衝突したものであり、右事故は被告の事業の執行について生じたものであるから、被告は民法第七一五条の規定によつて原告に対する損害賠償義務を負う。

6  第2項のアキレス腱切断事故は、本件事故と相当因果関係を有する負傷であることは勿論であるが、被告は原告との間の労働契約関係に基づき、原告の生命健康について医師の指示に従うなどして十分これに配慮すべき義務があるのにこれを怠つたことによつて惹起されたものであるから、被告には右事故につき、労働契約上の義務に違背した債務不履行責任がある。

7  原告がこれらの事故によつて被つた損害は以下の通りである。

(一) 入院付添費用 六四万五〇〇〇円

一日三〇〇〇円として、入院中付添を要した二一五日(保全病院で五四日間、同交会病院で七〇日間、稗貫外科医院で九一日間)分である。

(二) 入院雑費 三四万五〇〇〇円

一日六〇〇円として五七五日分である。

(三) 通院交通費 七万円

一日五〇〇円として一四〇日分である。

(四) 昭和五二年一二月賞与分 二二万四六〇〇円

当時の原告の月給は一二万九〇〇〇円であり、前年度の同時期賞与実績は一・七四一箇月分であつた。

(五) 昭和五三年八月一日から原告が定年となる筈であつた昭和五九年一二月末日までの逸失利益 一二四六万三三三五円

被告の定年制は労働者が五五歳に達した年の年末であるから原告は本件事故がなければ昭和五九年末まで被告に勤務することが可能であつた。また被告の毎年の賃金上昇率は六パーセントを下回ることはなく、また賞与は年間三・二箇月分を下回ることはなかつたから、原告の昭和五二年一二月当時の月給一二万九〇〇〇円に一五・二(箇月分)及び六・三五六二五(年六パーセントの昇給率による六・五箇年間のライプニツツ係数)を乗じてこの期間の逸失利益を計算すると一二四六万三三三五円となる。

(六) 定年後六七歳までの逸失利益 一八八四万一〇二四円

昭和五四年度賃金センサスによると五五歳ないし五九歳の男子労働者の平均年間賃金は二三六万三四〇〇円であるから、ホフマン方式の係数(一一・五三六三マイナス三・五六四三)を乗じてこの期間の逸失利益を計算すると一八八四万一〇二四円である。

(七) 入通院慰藉料 五七〇万七五〇〇円

原告の入院日数は合計五七五日間、通院期間は現在まで合計一九・四箇月間であるが、被告は労災保険金請求手続をしないとか、まだ症状が癒えない原告を重労働に就かせ再度傷害を負わせるとか使用者にあるまじき種々の不誠実な態度を示したことの他、本件の如く常に自己の利益を追求して労働者を使用している企業が加害者となる労災事故の場合にはその慰謝料は交通事故損害賠償額算定基準の五割増が相当であることから、原告の入通院に対する慰藉料は五七〇万七五〇〇円とすべきである。

(八) 後遺症慰藉料 一七六二万五〇〇〇円

前記(七)と同様の考慮によつて、原告の後遺症に対する慰藉料は一七六二万五〇〇〇円が相当である。

8  原告がこれまでに支払を受け、損害額から控除すべき金額は以下の通りである。

(一) 自賠責保険金 五六万円

原告の外傷のみによつて算定された金額である。

(二) 労災保険金 二一四万二八七〇円

昭和五三年七月までに一五〇万五六八四円

昭和五四年二月までに五六万一七三六円

同年三月以降は傷病補償年金年額九七万六〇八〇円

(三) なお被告の主張第8項の金額は全部認める。

9  参加人の主張は全部認める。

10  よつて原告は被告に対し、第7項(一)ないし(八)の損害金合計五五九二万一四五九円から第8項(一)(二)の金員を控除した残金五三二一万八五八九円の内金四五〇二万八五〇五円及びこれに対する弁済期の後であることの明らかな昭和五三年八月一日からその支払の済むまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告

1  原告の主張第1項は認める。

2  同第2項中、原告の復職、アキレス腱切断事故の存在、その後の入通院状況は認めるが、その余は否認する。右事故は、被告が指示した作業内容とは全く別の商品整理場所で、原告が商品から飛び降りた際に発生したものであつて、原告の自傷行為である。

3  同第3項中、原告が腹部の異常によつて昭和五四年二月二六日までその主張通りの治療を受けたことは認めるが、右は心因性のものである。

4  第4項は否認する。原告の後遺症は自賠責上一四級一〇号の認定を受けている。

5  同第5項中、被告が同トラツクの保有者・運行供用者であることは認める。

6  同第6項は争う。

7  同第7項も争う。

特にその逸失利益については、原告の腸管癒着後の傷病の予後については、同交会病院の診断では心因性のものであり、軽労働に従事するのが適切(労働基準監督署の勧奨も同じ。)ということであつたので、被告は原告を昭和五三年四月六日の症状固定後は軽労働部署に配転替する旨を正式に告知していたのである。それにも拘らず原告は自己都合による退職を申し入れて来ているのであるから、定年時までの逸失利益の請求は失当である。

また原告の後遺症は一四級であるから、労働能力喪失率は五パーセント、継続期間も二年以内と評価しなければならない。従つて、定年後の逸失利益の請求も失当である。

8  同第8項につき、原告は昭和五三年七月一三日、本件事故について自賠責から後遺症一四級一〇号に相当するものとして五六万円の支給を受けている。また被告は本件事故について見舞金一〇万円を支払つた。

更に被告は、原告が勤務できなかつた期間においても、通常の稼働を前提として次の通り給与を支弁している。

(一) 昭和五一年七月一日から同年一一月三〇日まで 六七万〇四九九円

(二) 昭和五二年五月二八日から同年九月三〇日まで 四八万九四五六円

(三) 同年一〇月三〇日から昭和五三年一月二〇日まで 六四万五三三三円

9  同第10項は争う。

10  参加人の主張のうち、第1項は不知、第2項は認める。

三  参加人

1  参加人は原告から昭和五五年一一月二八日、原告が本件事故に関して被告に対して有している損害賠償権のうち八一〇万円の譲渡を受けた。

2  原告は右同日、内容証明郵便によつて右債権の譲渡通知を発し、これは同月二九日頃被告に到達した。

3  その余の主張及び被告の主張に対する認否については、原告の主張を全部援用する。

4  よつて参加人は、原告に対し、その請求債権中八一〇万円が参加人に属することの確認を、被告に対し、右八一〇万円及びこれに対する履行期の後であることの明らかな本件当事者参加申立書送達の日の翌日である昭和五五年一二月四日からその支払の済むまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める。

第三証拠関係〔略〕

理由

一1  原告の請求の原因第1項記載の事実、即ち被告の従業員であつた原告が昭和五一年七月一日、被告の東営業所食品整理倉庫において、物品をトラツクに積載作業中、同営業所課長山本達雄の操作したトラツクが突然後退したため、右トラツクと倉庫のカウンターの間に身体腹部を挾まれ、(本件事故)、空腸断裂(二箇所)、腹腔内出血、左第九・一〇肋骨跛裂骨折、第二・三・四腰椎右核突起の重傷を負い、同日から同年九月一九日までの八一日間保全病院において入院の上治療を受け、更に同月二〇日から同年一一月三〇日まで約七〇日間治療のため同病院に通院したことは当事者間に争いがない。

2  成立にいずれも争いのない甲第二号証ないし同第六号証、同第九号証ないし同第一二号証によれば、本件事故は、前記山本が積込作業の便宜のためトラツクを少し前に動かそうとして、運転席のドアから半身を運転台に入れた恰好でチエンジレバーの位置を確認せず、またクラツチペダルも踏まないまま漫然とエンジンキーを回してエンジンを作動させたところ、ギヤーが後進の位置であつたために右トラツクが突然後退し、トラツク荷台と倉庫カウンターの間で作業中であつた原告がこれらに挾まれたものであること、即ちすぐ後方で原告が作業中であるにも拘らず右山本のチエンジレバーの位置を確認せず、また直ちに制動の措置を講ずることもできないような状態・姿勢でエンジンを始動させるという重大な過失によつて発生したものであることが認められる。

3  本件事故の原因となつたトラツクにつき、被告がその保有者・運行供用者であることは当事者間に争いがないのであるから、被告は自賠法第三条の規定に基づき、原告が本件事故によつて被つた損害を賠償しなければならない。

二1  原告が同年(昭和五一年)一二月一日に復職したこと、昭和五二年五月二八日、積荷作業中に左アキレス腱を切断し、その治療のため右同日から同年七月三〇日まで保全病院に入院し、同年八月一日から同年九月二〇日まで同病院に通院したことは当事者間に争いがない。

2  原告は、右アキレス腱切断事故は本件事故と相当因果関係を有し、また医師の指示に従わず、原告の生命健康に配慮しなかつたために発生したものであると主張するが、原告本人尋問(第一回)の結果によれば、当時原告は醤油を運搬していたのであるが、醤油入りの箱を積み重ねた後、木枠伝いに降りる途中、下のビール箱に足をかけたところ、その箱がひつくり返つたため原告のアキレス腱が切れるという事態に至つたものであることが認められるから、これは本件事故と相当因果関係を有する事故とは解されず、また被告が医師の指示に反して(この点は後に認定する。)原告を軽作業に就かせなかつたことが原因となつて発生した事故であるとすることもできない。従つて原告の請求中右アキレス腱切断事故を理由とする部分は失当である。

三1  成立にいずれも争いのない甲第一三号証、同第二八号証、同第三〇号証、原本の存在・成立とも争いのない同第一七号証の一・二、証人稗貫博の証言、原告本人尋問(第一・二回)の結果を総合すると、以下の通りの一連の事実を認めることができる。

(一)  原告は昭和五二年一〇月初め頃、腸管癒着の事態が判明し、同年一〇月三一日から翌昭和五三年一月七日まで六九日間同交会病院に入院して治療を受け、その後同年九月二七日までの約八箇月半同病院に通院(この通院の事実は、弁論の全趣旨によれば被告において明らかに争わないものと認められるので、参加人同様これを自白したものとみなす。)した。

(二)  同年一月七日の退院時において、同病院の医師は、原告の症状は固定したと診断し、今後も通院は要するが、対症療法によつて自覚症状が軽減すれば就業も可能であるとして、多少の運動を勧めた。

(三)  しかし同年九月に至つて、原告は腸管癒着がひどいため吐気・腹痛・上腹部膨満、便泌等の症状によつて入院を必要とするようになり、同月二九日から昭和五四年五月二〇日まで二三四日間稗貫外科医院に入院した。この間二月六日に開腹手術を受けたが、原告は本件事故直後の空腸断裂に対する手術で腸を一メートル余切除していたため、腸管切除は既に限界に達しており、重ねて癒着部分を切除するという抜本的な施術を行なうことができなかつた。

(四)  右手術後、原告は電気治療、神経治療、消化剤の投与等の治療を受けたが、退院時(昭和五四年五月二〇日)までに症状が多少収まつた程度にとどまり、同医院の主治医は散歩と運動を続けるよう指示した。また同医師はこの頃、今後どのような治療法を用いてもこれによつて格別病状が好転することはなく、この程度の症状は続くと考えられるが、軽作業か事務労働なら原告にも可能であると判断した。

(五)  原告はその後、同年五月二一日から同月二六日まで同医院に通院して治療を受けた。(この事実は、弁論の全趣旨によれば被告において明らかに争わないものと認められるので、参加人同様被告もこれを自白したものとみなす)。

(六)  原告は昭和五五年五月二九日(前記甲第二八号証)から同年六月一八日(これは弁論の全趣旨により被告において明らかに争わないものと認められるので、参加人同様これを自白したものとみなす。)までの二一日間、北海道社会保険中央病院に入院して前記腸管癒着の精密検査を受けたところ、同病院の担当医師は、原告に格別の所見はなく症状は固定しており、労働に就くのは無理であると診断した。同医師は昭和五六年二月の段階においても同様の判断を下した。

(七)  原告は相変わらず吐気、食欲不振、腹痛、不眠等の症状が続いており、これ以上に病状が悪化してももう手術は無理と思われるため、薬と食餌療法を継続する他はなく、現在まで同病院に通院している。

2  前号冒頭掲記の証拠を総合すれば、原告のこのような腸管癒着の事態と症状は、単に心因性のものではなく本件事故又はその際の空腸断裂に対する手術にその原因を有するものであると認められるから、原告がこれによつて被つた損害は本件事故と相当因果間係を有するものである。

なお原告本人尋問(第一回)の結果によれば、原告は本件事故の後、昭和五一年一二月一日に一応復職するに当り、腸管切除の手術後であるから軽作業にのみ従事するようにという医師の指示を被告に伝えたが、被告はこれを無視し、原告に従前通りの段ボール箱の積込み・積下し、或いは醤油・味噌の運搬・積上げという重労働をさせたことが認められるが、これらの作業はいずれも腹部及び背部に力を入れてなすことを要するものであるから、この時期のこういう状況が原告の後の腸管癒着及び下肢痙性不全麻痺の原因となつた脊髄損傷に悪影響を来した可能性は当然考えられよう。

四1  成立にいずれも争いのない甲第二五号証、同第二九号証、同第三一号証、証人浜田勇夫の証言及び原告本人尋問の結果によれば、以下の通りの事実を認めることができる。

(一)  原告は昭和五五年夏に至つて両下肢痙性不全麻痺、腱反射亢進、膝間代、足間代の症状が発現し、同年六月二〇日から同年九月三〇日までの一〇三日間美唄労災病院に入院して治療を受け、その後は右病名で現在まで前記北海道社会保険中央病院に毎週一回の割合で通院して鎮痛剤等の投与を受けている。

(二)  原告には現在、背部痛、臀部痛、両下肢の痺れ、両足冷感等の症状があり、杖があれば単独歩行は可能であるが長時間座つたり、背を下にして寝ることはできないでいる。

美唄労災病院及び社会保険中央病院の各担当医は、原告の右両下肢痙性不全麻痺は、本件事故時にその脊髄(胸髄下部)に損傷を受けたことに由来するものであるが、格別の治療方法はなく、上肢のみを用いる軽作業を除いて就労は不可能であると診断した。

2  前号(二)後段記載の事実によれば、原告の右症状は本件事故に起因するものであると推認することができ、従つて被告は原告がこれによつて被つた損害を賠償しなければならない。

五  前項及び前々項で述べた事情を総合すれば、原告には本件事故によつて腸管癒着障害及び両下肢痙性不全麻痺の後遺症が残つたものであつて、右後遺症は一括して自賠法施行令別表後遺障害等級表の三級に相当すると考えられ、原告はその労働能力の一〇〇パーセントを喪失したとせねばならない。

前記甲第二五号証及び証人稗貫博の証言中には軽作業又は上肢を使う仕事なら可能であるとする部分があるが、これは整形外科的見地からのみみたものであつて、原告の内科的疾患と併せ考え、また前記甲第二八号証、同第二九号証、同第三〇号証の各記載、その他弁論の全趣旨(原告本人尋問の際の諸状況等)を勘案すると、原告に幾許かの労働能力が残つていて、例えば何らかの座業等によつて残存労働能力を用いることができるとすることは明らかに相当でない。

なお原告がその逸失利益を請求する昭和五三年八月以降の時期において、その主張によつても原告が入通院を逸れていた頂度丸一年の期間(昭和五四年五月二七日ないし昭和五五年五月二六日)が存する。また前記の通り、この段階では原告の下肢痙性不全麻痺は発現していなかつたのである。しかしながら、前掲各証拠によつて、この時期は原告にとつての治療期間であつて、食餌療法や散歩等によつて治療、体力回復に専念せざるを得ない状況であつたと考えられること、後に下肢痙性不全麻痺が発現したことによつて明らかな通り本件事故による原告の症状は未だ固定したものではなかつたこと等の事情からすると、右時期についてたまたま原告が入通院を免れていたことの一事をもつて原告が一定の範囲内においても稼働可能であつたと考えることは現実性を欠くものであつて、原告が休業損害・逸失利益を請求する昭和五三年八月以降については、原告の労働能力喪失の割合は終始一〇〇パーセントであるとする他はない。

なお成立に争いのない乙第五号証によれば、昭和五三年七月頃、原告が自賠責上一四級一〇号の後遺症がある旨の認定を得た事実が認められるが、右認定は昭和五三年七月ないしそれ以前の状況を前提とするものであること、また当時の外科的所見だけによるものであると考えられることから、これは前記認定に何らの影響を及ぼすべきものではない。

六  進んで原告が本件事故によつて被つた損害について判断する。

1  入院雑費 三〇万四八〇〇円

本件事故に起因する原告の入院日数は合計五〇八日(一1の八一日、三1(一)の六九日、同(三)の二三四日、同(六)の二一日、四1(一)の一〇三日の合計)であるから、原告主張通り一日六〇〇円の割合で入院雑費を計算すると三〇万四八〇〇円となる。

2  入院付添費 二二万六〇〇〇円

(一)  原告本人尋問(第一回)の結果によれば、原告の一回目の保全病院への入院については付添を要し、原告の妻が付添つたことが認められるが昭和五一年当時の入院であることを考えると、付添費用としては一日二五〇〇円の割合によるのが相当であり、原告の主張する五四日間についてその金額は一三万五〇〇〇円となる。

(二)  原告の同交会病院への入院については、この間付添が必要であつたこと及び原告の妻などが現実に付き添つたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

(三)  稗貫外科医院への二三四日間の入院につき、原告本人尋問(第一回)の結果によれば、この間原告の妻又は付添婦が付き添つたことが認められ、原告本人は、これは医師の指示によるものである旨供述するが、前記甲第一三号証によれば、右入院期間中であつて手術の直後である昭和五四年二月一四日の段階において、主治医が当時の原告は単独歩行ができ、食事、用便にも支障がないと判断しているのであるから、この時に真に付添が必要であつたかどうか疑わしい。しかしながら現実に原告の妻などが付き添つたことによつて実際に生じた損害はある程度これを考慮せざるを得ないので、一日一〇〇〇円の限度でこれを認める。従つて右二三四日間中原告の主張する九一日間では九万一〇〇〇円となり、(一)の一三万五〇〇〇円を加算すると入院付添費用の合計は結局二二万六〇〇〇円である。

3  通院交通費 二万四五〇〇円

原告の通院回数は必ずしも明らかではないが、保全病院について二回(始期と終期)、同交会病院について一〇回(前記甲第一七号証の二には、昭和五三年四月一日までに九回とある。)稗貫外科医院について二回、社会保険中央病院について三五回(美唄労災病院を退院した昭和五五年九月末から本件口頭弁論終結時の昭和五六年六月五日までの期間、原告本人尋問(第二回)の結果に従い、週一回の割合)の合計四九回を下回ることはないと考えられ、また一回当りの出費として、バス・地下鉄を乗り継ぐこともある反面、原告の身体状況に照してタクシーを利用せざるを得ないこともある旨が原告本人尋問(第二回)の結果によつて認められるから、平均すると原告主張通り一回当り五〇〇円を下回ることはないと考えられることから、結局右五〇〇円に四九を乗じて二万四五〇〇円の限度で原告の請求を認める。

4  昭和五二年一二月分賞与 〇円

原告が昭和五二年一〇月三〇日から昭和五三年一月二〇日までの間に給与合計六四万五三三三円の支給を受けたことは当事者間に争いがないところ、成立にいずれも争いのない甲第二〇号証、同第二七号証の一三によれば、原告は昭和五二年一〇月分の給与として一五万四〇〇〇円、同年一二月分として一二万九〇〇〇円の支払を受けたことが認められるから、同年一一月分の給与もせいぜい一五万四〇〇〇円、昭和五三年一月(二〇日間)分の給与は一〇万円程度と考えられるところ、前記六四万五三〇〇円余からこれらの金額を控除すると二六万二三〇〇円余の残余が生じる。昭和五二年一〇月三〇日分及び三一日分は取るに足りぬ金額(因みに一五万四〇〇〇円を三〇で割つて一日分を計算すると五一〇〇円余である。)であろうから、昭和五一年一〇月三〇日以降昭和五三年一月二〇日以前に支払われた金員であつてこの間の通常の給与でないものは一二月賞与であると理解しなければその説明がつかない。即ち原告は昭和五二年一二月の賞与を受給したと考えられるのであつて、これを受給していない旨の原告本人の供述(第二回)は採用できない。従つてこの点に関する原告の主張は失当である。

5  定年までの逸失利益 一三八八万四九二二円

原告は、被告における定年は、労働者が五五歳に達した年の年度末であると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。むしろ原告本人尋問(第一回)の結果によれば、定年は五六歳であると認められるので、原告は昭和四年八月二一日生れである(この事実は前記甲第一三号証によつて認める。)から、本件事故がなければ昭和六〇年八月二〇日まで被告において稼動できた筈であるということになろう。

成立に争いのない甲第一九号証の二によれば、原告の昭和五二年の収入は一九八万三五七四円であつたことが認められ、またこれを成立に争いのない同第一九号証の一と対比すれば、右収入は前年(昭和五一年)の一二・〇七パーセント増であるから、昭和五三年以降も毎年少なくとも昭和五二年の収入の五パーセント(九万九一七八円定額)は昇給するものと推認することができる(この割合で昇給するとすれば、原告が定年を迎える昭和六〇年の一年分の収入は二七七万六九九八円となるが、それでも昭和五三年度賃金センサスによる五〇歳ないし五四歳の男子労働者平均賃金に及ばない)。原告が逸失利益を請求する昭和五三年八月一日から便宜上昭和六〇年七月末日までの丸七年間につき、その逸失利益は、前記一九八万三五七四円に七年間に相当する複式ホフマン係数五・八七四三を乗じた一一六五万二一〇八円(円未満切捨)に、前記年単位九万九一七八円の昇給分に毎年五パーセント昇給の場合の複式ホフマン係数二二・五一三二を乗じた昇給分二二三万二八一四円(円未満切捨)を加えて一三八八万四九二二円となる。

6  定年後、六七歳に達するまでの逸失利益 一七五四万七〇〇七円

昭和五三年度賃金センサス(産業計・企業規模計・学歴計)によれば、五五歳ないし五九歳の男子労働者の年間平均賃金は三〇三万九五〇〇円であるから、原告の定年後の逸失利益のうち、便宜上昭和六〇年八月一日(原告は概ね五六歳)から昭和六四年七月末日(同じく六〇歳)の四年間についてこれを計算すると、昭和五三年八月一日を遅延損害金の起算点とする都合から右四年間の複式ホフマン係数二・七一五八(一一年に対応する係数八・五九〇一から七年に対応する係数五・八七四三の差)を用いて計算すると八二五万四六七四円(円未満切捨)となる。

また原告が六〇歳から六七歳までの七年間については、右と全く同様にして年間賃金二三一万五五〇〇円(但し六〇歳ないし六四歳のもの)に右七年間に対応する複式ホフマン係数四・〇一三一(一二・六〇三二から八・五九〇一を減じたもの)を乗じて九二九万二三三三円(円未満切捨)となるから、前記の数字と合算すると結局一七五四万七〇〇七円が原告の定年後の逸失利益である。

7  入通院慰藉料 二五〇万円

本件事故に起因する原告の入院日数は前記の通り五〇八日であり、通院期間は合計約一九箇月間(一1の約七〇日、三1(一)の約八箇月半、同(五)の六日間、同1(一)の約八箇月間)であるが、右期間の他に、原告の本件事故による傷害は総じて重傷というべきものであること、他方通院期間が非常な長期間にわたつたものであり、その間の具体的な通院状況や通院頻度に必ずしも明らかでない点があることを考慮して、二五〇万円をもつてこれに対する慰藉料として相当であると認める。

8  後遺障害に対する慰藉料 一〇〇〇万円

原告の前述した後遺障害に対する慰藉料は、原告が本件事故によつて事実上その労働能力の全部を喪失し、今後は療養生活を送る他はないものであること、また昭和五一年一二月の段階において、被告が医師の指示に反して腸管切除手術後の原告に重労働をさせるなど被告に原告の損害の拡大を防止する上において問題があつたとみられても已むを得ない点があること等を考慮して一〇〇〇万円をもつて相当と認める。

9  填補分 四一一万九七六〇円

(一)  原告が昭和五四年二月以前において労災保険から合計二〇六万七六〇〇円の給付を受けたことは原告の自陳するところであるから、右金額は当然原告の損害額から控除すべきものである。

(二)  成立に争いのない甲第二四号証によれば、原告は昭和五四年三月二四日から労働者災害補償保険の傷病補償年金として年額九七万六〇八〇円の支給を受けることになつた事実が認められ、右日時から本件口頭弁論終結の日(昭和五六年六月五日)までに二年二箇月余が経過していることから、原告は少なくともその二年分一九五万二一六〇円を受給したものと推認することができる。

(三)  原告が被告から見舞金一〇万円を受領したことは当事者間に争いがない。

(四)  結局原告の損害から控除されるべき金額として本号(一)ないし(三)の合計は四一一万九七六〇円である。

従つて原告の本件事件による損害の合計は本項1ないし8を合計して四四四八万七二二九円となるところ、これから右金額を控除すると未払損害金は四〇三六万七四六九円となる。しかしながらこれらの数字は、前述の逸失利益の算出に当つて計算上各年八月一日を基準とせざるを得なかつたことにも現われている通り所詮概算であつて、万円未満の細かい数字が特に意味を有するものでないことは明らかであるから、結局原告の損害賠償債権額は四〇三六万円であると把握して差し支えないものである。

七  原告本人尋問(第二回)及びこれによつて成立の認められる甲第三三号証によれば、原告は昭和五五年一一月二八日に本件事故に基づく前記損害賠償債権のうち八一〇万円を参加人に譲渡したことが認められ、右債権譲渡の通知が同月二九日頃被告に到達したことについては当事者間に争いがない。

八  以上の事実及び判断によれば、原告の本訴請求は参加人に譲渡した部分を除いた残余三二二六万円及びこれに対する弁済期の後であると考えられる昭和五三年八月一日からその支払の済むまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分が、参加人の請求はその全部が、それぞれ理由があるのでこれを正当として認容し、原告の請求中その余は理由がないのでこれを失当として棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条、第九四条を、仮執行の宣言については同法第一九六条を適用して、主文の通り判決した次第である。

(裁判官 西野喜一)

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